長野県みらいベースを通し、活動支援のための寄付金を募集したいと存じます。(7月1日より寄付募集開始)
戦後80年を迎えた今年、長野県内の高校生の皆さんに、あらためて平和について考えてもらうことを目的に、穂高町出身の特攻隊として亡くなった、上原良司氏について知ってもらうとともに、戦争について意見交換をしていく機会を設けたいと思います。
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イベント 2025年8月9日 上原良司をしのぶ追体験学習 2025年(令和7年)8月9日(土)午後2時~4時(内容)大糸線「有明」駅に集合し、良司の家、乳房川等を見学 |
イベント 2025年8月23日 わだつみのこえ戦後80年のつどい 2025年(令和7年)8月23日(土)午後1時~4時 深志教育会館(松本深志高校2分)(内容)講演会、シンポジウム、展示等 |
イベント 高校生による探究活動 (内容)中信地区の高校生の発案による探究的学習 (戦争遺跡視察、意見交換等)を計画中 |
イベント 安曇野市戦後80年平和事業 |
イベント 2025年6月1日 松本市内の戦争遺跡めぐり 当日の様子はこちら 日時:6月1日(日)13:00~ 趣旨:戦争当時の遺跡に触れることにより、戦争と平和について考える機会とする。 |
2025年の今年は、敗戦後80年という大きな節目の時でもあります。
80年前の1945年5月、穂高町出身の上原良司青年は特攻出撃前夜、国民のみなさんに心からの訴えを「所感」という遺書に託して沖縄の海に散華しました。
「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言ったことは確かです。(中略)一器械である吾人は何も言う権利もありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。」
所感にこめられた思いは、あの戦争で散った全ての人々の叫びではないでしょうか。
上原青年は旧制松本中学校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に進学しましたが、経済学部在学中に徴兵猶予停止によって学徒出陣が決定。昭和18年10月21日には神宮外苑の陸上競技場(現・国立競技場)にて「出陣学徒壮行会」に参加することとなります。その後陸軍入営、飛行訓練などを経て、昭和20年4月に特攻要請を受けます。その年の5月11日、敗戦必至の異常な状況下、鹿児島の知覧特攻基地を飛び立ち、沖縄海上のアメリカ機動部隊に突入、戦死。22歳でした。
今に至るまで上原青年のことが語り継がれてきたのは、あの戦争という狂気の渦の中で、人間の「自由」と「尊厳」を確信に満ちて主張し続けたからであります。
その「志」と「思い」を戦後80年の節目に再確認し、さらに次代へ、次々代へと伝えていけなばと願うのです。この70年、日本は平和であり続けました。しかし戦争を知る世代が少なくなる中で、再び平和が押しつぶされないように心しなければならない憂いがありはしないでしょうか。世界各地では今もなお戦火がやむことがありません。
「わだつみの声」に耳を傾け、平和への誓いを改めて心に深く刻みたい。このような願いのもと、若い世代の皆さんと一緒に平和について考える集い「上原良司と<いま>を生きる」の開催を提唱いたします。
参考文献として上原 良司の3通の遺書・遺稿と、その解説を下記に掲載しました。
ぜひご一読ください。 [理解をしやすくするため、現代仮名遣いに改めてあります]
「上原良司と特攻隊」(閲覧可能) | 安島 太佳由 企画作品 |
「きけ わだつみのこえ ― 日本戦没学生の手記」 | 日本戦没学生記念会 編集 (岩波文庫) |
「あゝ 祖国よ 恋人よ きけわだつみのこえ 上原良司」 | 中島 博昭 編集 (信濃毎日新聞社 |
「有明山に日かげさし ― 上原良司の遺した思い ― 」 | 穂刈 稔 編集 (包美術館 事務局 TEL:0261-62-5078) |
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